●洋服徒然草2020年度版  トップページに戻る   洋服徒然草2018年 2017年 2016年

134回 梅春もの

 暦の上では春間近となっていてもたいへんに寒い日が続いています。冬服を着れば良いことですが季節を少し先取りするのがオシャレというもの、こんな時候のために梅春ものと呼ばれる洋服生地があります。厚みは冬と同じですが色が薄く、ベージュなどが代表的です。
 3月もまだ肌寒いのですが分厚いカシミアコートで歩いては季節外れにみえます。
シルク生地で仕立てた春コート(昔はお花見コートと呼びました)を以前はよく注文頂きました。

 などと仕立屋は季節を細分化した多彩な生地を揃えているのですが、近年は一年中着られるというふれ込みのオールシーズン対応生地が台頭しています。薄く柔らかいウール生地で、冷暖房完備のオフィスなら365日通用しそうです。

第133回 変形カラー

 

 写真は人民服と呼ばれる上着のデザインです。襟はステンカラー(立折襟)で、襟元をホックできっちり留めることができます。両胸、両腰にフラップポケット付き。

 人民服といえばイラスト真ん中のチャイナカラー(詰襟)をイメージする方の方が多いかもしれません。かの毛沢東が愛用していたことからマオカラーとも呼ばれ、古典的スパイ映画においては敵方首領のトレードマークでもありました。

イラスト右はバルカラーという襟で、下襟より大きな上衿が特徴。コートには一般的なデザインですがジャケットに使っても面白い、ヨーロピアンなムード漂うスタイルです。

3種類の襟ともクラシカルで謎めいた印象を与えます。写真の服はフロントラインを真っすぐ下に下ろしているので軍服的かも知れませんが、右ふたつのように普通の背広と同じく裾線を左右に逃がせばソフトになります。いつものデザインでは飽きたらないというオシャレな方はこんな襟を試してみてはいかがでしょう。建築家など先生と呼ばれる職業の方に似合い、オフタイムに着てもたいへんカッコイイのではないかと思えます。

▼第132回 手アイロン8割

写真は当店でいつも使っている重さ2,8㎏の業務用アイロンです。洋服にアイロン掛けをするときは掛けたい部分の布地を平らにしておくことが肝要です。きちんと平らになっているかどうか手で撫でて確かめる作業を手アイロンと呼び「手アイロン8割」とおっしゃる先輩がおられました。手アイロンができればもうアイロン掛けは8割方終わっていて、後はその部分にアイロンを置くだけだといわれるのです。

 アイロンを「当て切る」という言葉もあります。アイロン掛けする部分に霧を吹いておくのですが、吹きかけた水分が全て蒸発する瞬間までアイロンで押さえつけておくのが望ましいという意味です。布に湿り気が残っているとアイロンを持ち上げたとき白く湯気が上がります。これは押さえておく時間が不十分な印で、湯気が見えず布が焦げもしない丁度良い時間を見計らってアイロンを持ち上げるのです。

 上着にアイロン掛けする場合は一カ所当てるたびに服を宙に持ち上げて形を確かめます。夏場ならアイロン掛けした部分に扇風機の風を当てて急速に冷やしてやります。布地は熱と蒸気と圧力を加えられると柔らかくなって自在に形を変え、冷えるとそのままの形状で固まる性質があります。熱いアイロンの力で生地を柔らかくして形を整え、思い通りの形になったところで冷やして固めてやるのです。

▼第131回 マニアックなお店?

 

 「ロンドンさんはマニアックなお店だから」といわれることがあります。私としてはお客さまが注文されるままの洋服を普通にお仕立てしているつもりなのですが…どうも個性的なお客様が当店を目指してお越しになっている様子なのです。

 写真のジャケットは生地の裏側を使って手縫いしています。服地をご覧になったお客様が「裏の方が綺麗な柄が出ているのでこちらを表にして欲しい」とおっしゃるのです。ひっくり返して仕立てることは難しくありませんが裏使いでも問題はないか見極めねばならず、それなりの眼が必要です。襟はフィッシュマウスという変形デザインです。

先日はヴィンテージな生地を探しているというお客様が東京からわざわざ新幹線でいらっしゃいました。英国ドーメル社がトニック、スーパーブリオといったブランド名で半世紀前に発売した生地は今でも人気があります。生地商社が集中している神田須田町に行っても好みの柄が見つからず、当店のHPを見て問い合わせがあり、少しお話しするとお勤めを休んで来岡。店内にたくさんコレクションしている古い生地を見て「宝島に来た気分だ」と喜ばれ十数枚も購入して帰られました。

 「こんなラインの洋服が流行しています」とファッション誌をお見せしても「流行は取り入れなくて構いません」とおっしゃるお客様が多いのも当店の特徴と思われます。

▼第130回  コンケーブショルダー

 写真の上着の肩線は上向きに反り返った曲線を描いています。コンケーブショルダーと呼ばれる特殊な肩の作り方で、ヨーロッパの服にときに見られます。ウエストを細く絞る一方で腰回りは大きく張り出し、1930年代に流行した「蜂のようなウエスト、樽のようなヒップ」といわれるラインを形作っています。襟幅13㎝という横幅の広い襟を段返りにしたデザインも特徴的です。40年ほど前に英国で織られた生地を使ってハンドメイドしました。

 ご注文くださったお客様は40歳台のごく普通の企業にお務めの方で、このお洋服を着てお仕事をなさっています。
テーラーでスーツを仕立てるのは地元企業の社長さんや政治家の方というイメージがあるかも知れません。もちろんそのようなお客様もいらっしゃいますが、30歳台、40歳代の洋服好きなサラリーマンの方もよくいらっしゃいます。
 近年は機械縫製の技術が向上したため8万円くらいでたいへん良いスーツがお仕立てできるようになりました。入り難い印象のある仕立屋ですが、臆せず注文してみればご希望のお洋服が意外に簡単にできるものです。

▼第129回 英国羊

洋服生地の多くは羊毛で織られています。羊毛を取るために飼われている羊の中で圧倒的に多いのは、メリノ種といわれる品種です。メリノ種の羊からは織物に適した細くて長い羊毛を刈り取ることができ、オーストラリアやニュージーランドの主要な輸出品になっています。
 メイド・イン・イングランドと表示されている洋服生地も原料となる羊毛の多くはオーストラリアやニュージーランド産で、イギリス羊の毛はあまり使われていません。英国産の羊毛は太くて短く、織り上げると固い生地になってしまうからです。重厚な服地を使ってこそ英国伝統のスーツが仕立てあがるのですが、近年の高級紳士服は薄くておしゃれなイタリア製の生地を使用したものが主流。かつて世界一の流通量を誇った英国生地はイタリアに追い抜かれたばかりか大きく差をつけられているのが実情です。テーラーロンドンが屋号の当店では分厚い英国生地をしぶとくコレクションしてはいるのですが。

第128回 カブラ

 どの業界にも独自の言葉が存在します。ズボンの裾を折り返したデザインは一般にダブルと呼ばれていますが、洋服を縫う職人さんはこれをカブラといいます。寒い季節の根菜である、あの蕪のことです。日本の職人さんは明治時代に外国人が着ている洋服を初めて目にし、早速これを縫おうとしました。ダブルになったズボン裾を見て「これは何か」と西洋人に尋ねると、「turn up(折り返し)」だという答えが返ってきました。その発音が「turnip(蕪)」と混同されてカブラの語源になったそうです。ズボンの後ろポケットを「ピス」と呼ぶのは、その昔ここに護身用のピストルを入れていたためだと聞きました。

以前は一般の方でも経年劣化した糸が切れやすくなる現象を「糸がくみる」とおっしゃっていました。辞書を引いても「くみる」という単語は掲載されておらず、裁縫独自の用語かと思えます。糸がくみる現象は絹糸でよくみられるのですが、近年家庭では化繊の糸を使うようになったので、この言葉も今や絹糸をよく使う仕立屋の間だけで通じる用語になっているかも知れません。

裁ち鋏で生地を留めているシツケ糸を切っているときなどに、どうかすると刃先が生地に当たって小さなV字型の切れ込みを作ってしまうことがあります。仕立屋はこれをタケノコと呼び、職場で10年に1回くらい発生する大事故です。

127回 キングスマン・ゴールデンサークル

 

職業柄スクリーンに登場する人物の衣装にはいつも目を凝らしています。上映中の表題作は2018年に公開された「キングスマン:ゴールデン・サークル」で、英国人スパイが主人公のシリーズ第2作。ロンドンの高級紳士服店街サビルロウに店を構えるテーラー「キングスマン」が実は諜報組織の拠点であり、エージェントたちは英国製テーラードスーツを着用してスパイ活動に勤しんでいるという設定です。

主人公(中央の男)はオレンジ色のベルベットに黒の拝絹襟という日本ではまず見られない色使いのタキシードを着用。その左に立つ片目の男が着るスーツは「蜂のようにくびれたウエスト、樽のように豊かな腰回り」と形容されるクラシカルなラインダブル六つ釦です。マニアックなお客様からときに注文頂くラインですが、胴体を丸く包む立体感はハンドメイドでなくては実現できません。ウエストの絞り位置の高さも目を引きます。奇抜なデザインのタキシードと貴族趣味のスーツとの両立が英国ファッションの面目躍如たるところです。

左端のカウボーイハットはアメリカ人エージェントで、ジーンズにノーネクタイというラフなスタイルで米国らしさを強調します。ラストで彼が英国スーツを着て歩くカットが一瞬映りますが、まるで似合っていないところがシニカルなユーモアになっています。

すでに第3作「キングスマン:ファースト・エージェンント」が作成されていますが、コロナの影響で公開が延期されています。

▼第126回 銀行員さんはダブルを着ない

 

 銀行窓口の男性行員さんはたいていシングルの上着を着ておられます。聞けば上司から「前合わせに2列に釦が付いたダブルは尊大に見えるからシングルを着るように」言われたとのこと。とくに取り決めはないものの金融機関ではダブルの上着を避けるのが暗黙の了解となっているようです。

 ダブルとシングルの上着に格式の差はありません。上皇陛下は公式行事において常にダブルのスーツをご着用でしたが、昭和天皇はシングル三つ揃いをご愛用でした。どちらが正しいという問題ではなく、お好みが異なっているだけのこと。ダブルは大柄な人に似合うという意見にも根拠はありません。

それでもダブルに強面のイメージがあるのは、旧大英帝国海軍の軍服が前合わせに8つ以上の釦を2列に付けたダブルだったことに起因するようです。大英帝国は世界のファッションリーダーであり、軍服のみならず一般の紳士服にも影響を与えていました。現在でもダブルスーツは英国紳士の象徴です。

現代の男性ファッションはイタリア調の軽快なスタイルが主流です。釦の数を減らした方がスマートなので当店でもしばらくの間ダブルの上着は4つボタンにしていました。しかしどうせ仕立てるならむしろクラシカルな味を強調した方がよいと思い直し、近年は6つ釦のダブルをお勧めしています。写真はFBに使っている私のダブル6つ釦スーツ。

▼第125回  デニムスーツ

 

 デニムはジーンズに使われている綿生地で、地元の倉敷市や井原市、広島県福山市が全国的な産地になっています。本格的に仕立てれば高級スーツとなり、ビジネスシーンにも使えます。地元選出の国会議員の先生からもしばしばデニムスーツの注文を頂いていて、岡山特産の洋服として中央の議会でも着用してくださっているほどです。

 デニム生地の特徴は縦糸にインディゴなどの染料で染めた糸を使い、横糸には染色していない白糸を使う点にあります。そのため表面は紺色でも裏面は白いままです。また縦糸も染色は表面だけで、糸の芯まで染料がしみていません。元々労働着に使っていた素材なので染料を節約したということでしょう。そのため使い込んでいるうちに染料がしみ込んだ糸の表面が擦れ、染めていない白糸が露出するのでシワになる部分が筋状に白く見えてきます。通常の生地なら欠点というべき性質ですが、その使い込んだ感じがデニムの特質として愛好されています。またインディゴは色落ちすることがあるのですが、デニムの場合それさえも風合いとして容認されています。

 市販のデニムスーツの大半はトラブルを避けるために化繊と綿を混紡した素材を使用しているようです。当店ではジーンズ用のデニム生地をそのまま使ってスーツをお仕立てしているのですが、今までクレームを頂戴したことはありません。写真はデニム生地で仕立てたダブルスーツ。

第124回 洋服と似ているけれど異なる製品

 

衣料品のお直しを頼まれることがあるのですが、手が出せない製品もあります。仕立屋の作る洋服によく似ているけれど全く異なるアイテムです。

(1)革のジャケット

 一般的な洋服生地は何千本、何万本もの縦糸・横糸を直角方向に交差させて織られているので、その隙間に針を通して縫うことができます。革はごく細い有機繊維が不規則に隙間なく絡まり合う構造になっていて、仕立屋が縫い針を刺そうとしても粘り付いて通りません。革製品は革専用の強力なミシンを備えた工場で生産されています。

(2)編み物

 洋服は縦糸と横糸で構成された織物生地を裁断し、いくつかの部品を縫い合わせて形作ります。編み物はたった1本の糸をループ状に絡み合わせ、製品の形にまで編み進めています。編み物であるセーターはほどけば1本の糸に還り、丸い毛糸玉になってしまうことで分かると思います。服の形になれば同じように見える織物と編み物ですが、構造も製法も全く異なり、仕立屋は編み物には手が出せません。

(3)制服

 駅員さんに制服のお直しを頼まれたことがあるのですが、見れば特殊な工業用ミシンで縫われていて、私どもではほどくことさえできませんでした。ビジネスユニフォーム、ワーキングウエア、白衣などは一般の洋服とは異なるユニフォーム専門の工場で作られています。(写真は私どもの職人さんが洋服を手縫いしている職場です)

▼第123回  和服と洋服

 和服と洋服を見比べれば生地もデザインも当然違っているのですが、何より縫製方法が根本的に異なっています。和服が切った生地を折り紙にも似た形で平面的に縫い合わせているのに対し、洋服は気球のような膨らみを作る立体的縫製を行っています。

和服の縫い目はすべて直線で、表地と裏地の間には何も入っていません。畳むと平面になり、積み重ねて保管できます。和服が高価なのは生地の値段が高いせいで、縫製は単純です。ひたすら一直線に縫えばよく、戦前までは各家庭の奥様が和服を縫うことが普通に行われていました。現在は呉服屋さんが縫ってくれますが、工賃は1着3、4万円くらいです。

 洋服は表地と裏地の間に芯地やパットなどいろいろな構成要素を入れ、西洋の騎士が身に着ける鎧のように人間の体形に合わせた立体的な形に縫い上げます。肩に厚みがあるので平面状に畳むことができず、ハンガーに掛けて保管します。縫製手順が複雑なため素人では手が出せず、西洋においても昔から専門職人の仕事でした。現在スーツ1着を手縫いする工賃は十数万円します。

一方使用する生地の方は洋服生地が主にウール(羊毛)、和服の反物は綿や絹を原料に使い、見た目がずいぶん違います。しかし縦糸・横糸を交差させて織り上げるという構造は同じなので和服生地を使って洋服を縫うことは十分可能です。写真は和服の反物を使ってジャケットの裁断をしているところです。

▼第122回 中山装(ちゅうざんそう)

 北朝鮮の金正恩氏と同じデザインの服が欲しいというご注文を頂いて写真のスーツをお仕立てしました。日本では人民服といわれるスタイルですが、発祥の地である中国では中山装と呼ばれているようです。中山とは孫文の号で、20世紀初頭に彼の名声が広がるとともに愛用の服として中国とその周辺国に普及しました。
 原型となったのは孫文が日本に亡命していたころに見た日本陸軍の軍服で、彼は日本人の軍事顧問とともにこのスタイルを考案したといいます。

まず目につくのはステンカラー(立折襟)でしょう。軍服には身体の安全を確保する役目があります。そこで体を覆う部分を多くするために喉元までぴったり締まるステンカラーや詰襟をよく用います。中山装も前合わせを直線にして5個の釦を付け、襟元はホックで留めて隙間が広がらないようにしています。

両胸、両腰にフラップ(蓋付き)ポケットつけているのも軍服的です。戦場では携帯品を入れるためのポケットがたくさんあった方がよく、雨中でも内部に水が入らないように蓋で覆う必要がありました。背後から見ると背中の両脇を開けたサイドベンツにしていますが、これは左腰にサーベルや短剣を差していた名残です。

軍服は戦闘服であると同時に礼装であり、背広の原型でもあります。中山装を儀礼の席で着用することも失礼ではありません。

▼第121回  婦人服のオーダー

 

 ハンドメイドの注文紳士服を縫う店に先駆けてなくなっているのが婦人服のオーダー店です。岡山市でもかつては表町商店街に有名婦人服オーダー店が軒を連ねていたのですが、今ではほとんど姿を消してしまいました。

 当店にもときに婦人服を縫って欲しいという注文があるのですが申し訳なく思いながらお断りしています。パンツスーツなら紳士も婦人も同じような仕立て方だろうと思われがちですが、女性が服に求めておられるものは男性とは全く異なるのです。紳士服なら見て美しく着て着やすい服を作れば良く、そのためのノウハウは所持しているつもりです。ところが婦人スーツの美しさは紳士服とは見方が異なり、着やすさよりもラインが優先されます。

例えば上着が小さすぎると前釦を留めたとき引きつれて横シワが出ます。紳士服では許されない欠点ですが、婦人服にはそのシワをデザインに昇華させたスタイルがごく普通にあります。膨らんだバストへの対応にも私どもが持ち合わせないデザイン感覚が要求されます。

なお婦人服の釦が紳士服とは反対側(左手側)についていますが、これはかつての上流婦人は侍女に服を着せ付けてもらっていたため、侍女の右手側に釦を付けたためと思われます。
上の写真はもう数十年前に娘のために仕立てたパンツスーツです。

▼第120回 シングルとダブルの上着

 

 当店がご注文頂く上着の8割がシングル(正しくはシングルブレスト)で、残り2割が釦を縦2列につけるダブルです。銀行員さんは全員シングルを着用なさっているのですがお尋ねしても特段の理由はなく、ダブルは強面に見えるので遠慮するということのようです。個人的には吉本新喜劇に登場するヤクザ屋さんが決まってダブルを着ていることの影響が大きいのではないかと思えます。体が大きく貫禄ある人向けのデザインだというイメージも根強いですね。

 実際にはシングル、ダブルのどちらが正式とか上下の関係はなく、単にデザインの違いに過ぎません。体を覆う部分が多いダブルは軍服に多用されてきたために威圧的な感覚が残っているのでしょうが、それも19世紀までの話。現代では着ている方が少ないだけに個性をアピールできるデザインだといえます。同じダブルでも4つ釦なら軽快ですが、写真のような6つ釦の方がダブルらしさを強調でき、お勧めしています。4つ釦とほとんど同じデザインで、上二つの釦は飾りです。

 ダブルの上着の背中は両脇を開けたサイドベンツか全く開けないノーベントが普通で、背の真ん中を開けるセンターベントはほぼ皆無です。かつての英国海軍がダブルの軍服にサイドベンツを採用したことが根拠となっているようです。

第119回  五・十・日(ごとび)

 

 五・十・日と書いて「ごとび」と読みます。辞書には「月の5と10で終わる日のことで商売上の支払いが行われる」と記されているのですが、この頃は使う方も少なくなった言葉でしょう。私が仕立屋世界に入ったころ(半世紀も前です)は毎月5日、10日は取引先に集金に行く日と決まっていて、商売屋の者がいっせいに動くものだから街路は営業車で溢れ、渋滞気味でした。

 この時期には馴染みの生地問屋さんが大きな鞄に今年の冬服生地のサンプルを詰めて当店にやって来ます。写真のような小さな端切れを見て仕入れる生地を選ぶとヨーロッパから船便で日本の商社に生地が運ばれ、一着分にカットされたものが当店に届きます。冬生地がそろうとお得意様に「新作服地が入荷なりましたのでご覧ください」というお手紙を差し上げていました。最近は舶来生地も毎日のように航空便で輸送されるようになり、いつでもオールシーズンの生地が揃っています。

生地問屋さんへは毎月月末〆に、翌月10日払いの約束手形で生地代を支払っていました。手形を振り出すには当座預金口座が必要で、当座通帳を所持していることはちゃんとしたテーラーであることの証明でした。近年は生地代の支払いも現金か銀行振り込みになり、手形の顔はしばらく見ておりません。仕立屋商売も昔とはずいぶん様変わりしました。

第118回 クールビズ

 

 クールビズは05年の小泉内閣で発表されました。省エネのために冷房を28度に抑えたオフィスで仕事しやすいようノージャケット・ノーネクタイの軽装を奨励したのは当時の小池百合子環境大臣です。国の方針に全国の地方自治体は即座に同調し、民間へも呼びかけました。当時岡山県知事にお会いした際「国も県も熱心にクールビズを進めておられますが、洋服屋には都合の悪い政策ですね」と冗談交じりにお話したところ「国と県は各分野で厳しい交渉を重ねなくてはならないので、服装くらいは足並みを揃えたいのです」とのお返事でした。働く側にとっても猛暑の季節に上着を着ていては暑いに決まっているので、軽装は歓迎すべきところでしょう。

 アパレル業界はノーネクタイでもだらしなく見えないシャツスタイルを模索し、消費者に提案してきました。写真は中でも成功した例で、襟元に釦を縦に二つ並べてアクセントにしたボットーニというデザイン。本体はピンクなのですが襟とカフスを白生地にしたクレリック仕立てにしています。しかしクールビズはあくまで機能優先の仕事服であり、おしゃれに着こなすのは難しいようです。

第117回 コンケーブショルダー

 

 写真の上着の肩線は上向きに反り返った曲線を描いています。コンケーブショルダーと呼ばれる特殊な肩の作り方で、ヨーロッパの服にときに見られます。ウエストを細く絞る一方で腰回りは大きく張り出し、1930年代に流行した「蜂のようなウエスト、樽のようなヒップ」といわれるラインを形作っています。襟幅13㎝という横幅の広い襟を段返りにしたデザインも特徴的です。

 デザインを指定し、ご注文くださったお客様は40歳前のごく普通の企業にお務めの方です。テーラーでスーツを仕立てるのは地元企業の社長さんや政治家の方というイメージがあるかも知れません。もちろんそのようなお客様もいらっしゃいますが、30歳台、40歳代の洋服好きなサラリーマンの方もよくご来店になります。近年は機械縫製の技術が向上したため8万円くらいでたいへん良いスーツがお仕立てできるようになりました。入り難い印象のある仕立屋ですが、臆せず注文してみればご希望のお洋服が意外に簡単にできるものです。

▼第116回 ハンドメイド

テーラーにとって一番の悩みは本格的な洋服を手縫いできる職人さんが皆お年を召してしまっていることです。半世紀に渡って当店の服を縫い続けてくださっていた職人さんたちは
80歳を超えて次々と引退しています。後継となる若い縫い手の方もいるのですが、往年の職人さんの神業のような手腕には及ぶべくもありません。時間をかけて技術を育てる環境が失われているからです。

仕立屋を支えて下さる職人さんも数少なくなりました。裁ち鋏の、とくに刃先の先端はシャキンッと音を立てて切れてくれないと思うような裁断・縫製ができません。定期的に研ぎに出す必要があるのですが、長年お願いしていた研ぎ師さんが引退し、ここ数か月の間切れ味の鈍い鋏に悩まされていました。先月になって知人のテーラーから奉還町にベテランの研ぎ職人さんがおられることを教わり、大喜びで手持ちの鋏を順番に研ぎに出しているところです。

近年コンピュータが上手に生地を裁断し、新開発された縫製工場専用ミシンがなかなかの仕事をするようになりました。街でオーダースーツと呼ばれ販売されているものもほとんどは機械縫製なのが実情です。それでも私どもの目から見れば手縫いと機械縫いには歴然とした違いがあり、全く趣きの異なる洋服が出来上がっているように思えます。

第115回 仕立屋言葉

 

 どの業界にも独自の言葉が存在します。ズボンの裾を折り返したデザインは一般にダブルと呼ばれていますが、洋服を縫う職人さんはこれをカブラといいます。寒い季節の根菜である、あの蕪のことです。
 日本の職人さんは明治時代に外国人が着ている洋服を初めて目にし、早速これを縫おうとしました。ダブルになったズボン裾を見て「この仕様を何と呼ぶのか」と西洋人に尋ねると、「
turn up(ターンアップ・折り返し)」だという答えが返ってきました。その発音が「turnip(ターニップ・蕪)」と混同されてカブラの語源になったそうです。ズボンの後ろポケットを「ピス」と呼ぶのは、その昔ここに護身用のピストルを入れていたためだと聞きました。

以前は一般の方でも経年劣化した糸が切れやすくなる現象を「糸がくみる」とおっしゃっていました。辞書を引いても「くみる」という単語は掲載されておらず、裁縫独自の用語かと思えます。糸がくみる現象は絹糸でよくみられるのですが、近年家庭では化繊の糸を使うようになったので、この言葉も絹糸を愛用する仕立屋の間だけで通じる用語になっているかも知れません。

裁ち鋏で生地を留めているシツケ糸を切っているときなどに、どうかすると刃先が生地に当たって小さなV字型の切れ込みを作ってしまうことがあります。仕立屋はこれをタケノコと呼び、職場で10年に1回くらい発生する大事故です。

第114回 デニムのスーツ

 

 岡山はデニム生地の産地です。ジーンズ素材として使われるデニムで、当店ではしばしばスーツをお仕立てしています。地元選出の国会議員の先生方や伊東香織倉敷市長も、岡山らしい服装としてインディゴ(藍色)のデニムスーツをよく着ておられます。私のお勧めは黒やグレーに染めたデニムの三つ揃い=写真=で、これなら会社員の方の仕事着としても十分通用します。服を一見しても素材が分からず、触ってようやくデニムであることに気づいておしゃれ心に感心して下さいます。

 デニム生地は綿糸で織られていますが、経糸だけに藍や黒などに染めた糸を使い横糸には白糸を使う点に特徴があります。経糸の染料も表面だけ染み込んでいて芯は白いままです。そのため長く着ていると肘や膝などよく動かす部分では生地の表面が擦り切れて白っぽく見えるようになり、デニム独特の風合いが生まれます。綿100%なのでシワになりやすく、ズボンの前ラインは着ているとすぐに消えてしまいます。

ウール生地なら欠点ともいえるこれらの要素はデニムが元々ヘビーデューティーな労働着の素材であったことに由来します。しかしこれを通常の背広と同じ手法できちんと仕立てるとウール素材とは異なるデニム独自の特色となり、着用なさっている方の存在感を増すことに役だっています。ジーンズ同様季節を選ばず着用できることも強みです。

▼第113回 梅春(うめはる)もの

 仕立屋は季節を細分化した多彩な生地を揃えています。新春とは名ばかりの寒さが続くこの時期、冬服を着れば良いことですが季節を少し先取りするのがオシャレというもので、こんな時候のために梅春(うめはる)ものと呼ばれる洋服生地があります。温かい素材ですが色が薄く、ベージュやライトグレーがよく使われています。

梅春物の後は春物とモヘアを使った初夏ものが続くのですが近年は一年中着られるというふれ込みの薄手のウール生地が台頭しています。

▼第112回 キングスマン 

職業柄スクリーンに登場する人物の衣装にはいつも目を凝らしています。写真は英国人スパイが主人公の「キングスマン」シリーズ第2作「ゴールデンサークル」(2018)のポスターです。ロンドンの高級紳士服店街に店を構えるテーラー「キングスマン」が実は組織の拠点であり、エージェントたちは英国製テーラードスーツを着用してスパイ活動に勤しんでいるという痛快スパイ映画です。

中央に立つ主人公はオレンジ色のベルベットに黒の拝絹襟という日本ではまず見られない色使いのタキシードを着用。その左の片目の男が着るスーツは「蜂のようにくびれたウエスト、樽のように豊かな腰回り」と形容されるクラシカルなラインのダブル六つ釦です。マニアックなお客様からときに注文頂くシルエットンですが、胴体を丸く包む立体感はハンドメイドでなくては実現できません。ウエストの絞り位置の高さも目を引きます。奇抜なデザインと貴族趣味のスーツとの両立が英国ファッションの面目躍如たるところです。

左端のカウボーイハットはアメリカ人エージェントで、ジーンズにノーネクタイというラフなスタイルで米国らしさを強調します。ラストで彼が英国スーツを着て歩くカットが一瞬映りますが、まるで似合っていないところがシニカルなユーモアになっています。

▼第111回 銀行員さんはダブルを着ない

 銀行窓口にいる男性行員さんはたいていシングルの上着を着ておられます。聞けば上司から「前合わせに2列に釦が付いたダブルは尊大に見えるからシングルを着るように」言われたとのこと。とくに取り決めはないものの金融機関ではダブルの上着を避けるのが暗黙の了解となっているようです。

 ダブルとシングルの上着に格式の差はありません。上皇陛下は公式行事において常にダブルのスーツをご着用でしたが、昭和天皇はシングル三つ揃いをご愛用でした。どちらが正しいという問題ではなく、お好みが異なっているだけのこと。ダブルは大柄な人に似合うという意見にも根拠はありません。

それでもダブルに強面のイメージがあるのは、旧大英帝国海軍の軍服が前合わせに8つ以上の釦を2列に付けたダブルだったことに起因するようです。大英帝国は世界のファッションリーダーであり、軍服のみならず一般の紳士服にも影響を与えていました。現在でもダブルスーツは英国紳士の象徴です。

現代の男性ファッションはイタリア調の軽快なスタイルが主流です。釦の数を減らした方がスマートなので当店でもしばらくの間ダブルの上着は4つボタンにしていました。しかしどうせ仕立てるならむしろクラシカルな味を強調した方がよいと思い直し、近年は6つ釦のダブルをお勧めしています=写真=。

▼第110回 デニムスーツ

 デニムはジーンズに使われている綿生地で、倉敷市や井原市、福山市が全国的な産地になっています。本格的に仕立てれば高級スーツとなり、ビジネスシーンにも使えます。地元選出の政治家の先生からもしばしばデニムスーツの注文を頂いていて、岡山特産の洋服として中央の議会でも着用してくださっているほどです。

 デニム生地の特徴は縦糸にインディゴなどの染料で染めた糸を使い、横糸には染色していない白糸を使う点にあります。そのため表面は紺色でも裏面は白いままです。また縦糸も染色は表面だけで、糸の芯まで染料がしみていません。元々粗末な仕事着に使っていた素材なので染料を節約したということでしょう。そのため使い込んでいるうちに染料がしみ込んだ糸の表面が擦れ、染めていない白糸が露出するのでシワになる部分が筋状に白く見えてきます。通常の生地なら欠点というべき性質ですが、その使い込んだ感じがデニムの特質として愛好されています。またインディゴは色落ちすることがあるのですが、デニムの場合それさえも風合いとして容認されています。

 市販のデニムスーツの大半はトラブルを避けるために化繊と綿を混紡した素材を使用しているようです。当店ではジーンズ用のデニム生地をそのまま使ってスーツをお仕立てしているのですが、今までクレームを頂戴したことはありません。写真はデニム生地で仕立てたダブルスーツ。

▼第109回 洋服と似ているけれど異なる製品

衣料品のお直しを頼まれることがあるのですが、手が出せない製品もあります。仕立屋の作る洋服によく似ているけれど全く異なるアイテムです。

(1)革のジャケット

 一般的な洋服生地は何千本、何万本もの縦糸・横糸を直角方向に交差させて織られているので、その隙間に針を通して縫うことができます。革はごく細い有機繊維が不規則に隙間なく絡まり合う構造になっていて、仕立屋が縫い針を刺そうとしても粘り付いて通りません。革製品は革専用の強力なミシンを備えた工場で生産されています。

(2)編み物

 洋服は縦糸と横糸で構成された織物生地を裁断し、いくつかの部品を縫い合わせて形作ります。編み物はたった1本の糸をループ状に絡み合わせ、製品の形にまで編み進めています。編み物であるセーターはほどけば1本の糸に還り、丸い毛糸玉になってしまうことで分かると思います。服の形になれば同じように見える織物と編み物ですが、構造も製法も全く異なり、仕立屋は編み物には手が出せません。

(3)制服

 駅員さんに制服のお直しを頼まれたことがあるのですが、見れば特殊な工業用ミシンで縫われていて、私どもではほどくことさえできませんでした。ビジネスユニフォーム、ワーキングウエア、白衣などは一般の洋服とは異なるユニフォーム専門の工場で作られています。(写真は職人さんが洋服を手縫いしている職場です)

第108回  和服と洋服

 

 和服と洋服を見比べれば生地もデザインも当然違っているのですが、何より縫製方法が根本的に異なっています。和服が折り紙にも似た形に生地を縫い合わせているのに対し、洋服は気球のような膨らみを作る縫製を行っています。

和服の縫い目はすべて直線で、表地と裏地の間には何も入っていません。畳むと平面になり、積み重ねて保管できます。和服が高価なのは生地の値段が高いせいで、縫製は単純です。ひたすら一直線に縫えばよく、戦前までは各家庭で和服を縫うことが普通に行われていました。現在は呉服屋さんが縫ってくれますが、工賃は1着3、4万円くらいです。

 洋服は表地と裏地の間に芯地やパットなどいろいろな構成要素を入れ、西洋の騎士が身に着ける鎧のように人間の体形に合わせた立体的な形に縫い上げます。肩に厚みがあるので平面状に畳むことができず、ハンガーに掛けて保管します。縫製手順が複雑なため西洋においても昔から専門職人の仕事でした。現在スーツ1着を手縫いする工賃は十数万円します。

使用する生地の方は洋服生地が主にウール(羊毛)、和服の反物は綿や絹を原料に使い、見た目がずいぶん違います。しかし縦糸・横糸を交差させて織り上げるという構造は同じなので和服生地を使って洋服を縫うことは十分可能です。写真は和服の反物を使ってジャケットの裁断をしているところです。



▼第107回 中山服

北朝鮮の金正恩氏と同じデザインの服が欲しいというご注文を頂いて写真のスーツをお仕立てしました。日本では人民服といわれるスタイルですが、発祥の地である中国では中山装と呼ばれているようです。中山とは孫文の号で、20世紀初頭彼の名声が広がるとともに愛用の服として中国とその周辺国に普及しました。

 原型となったのは孫文が日本に亡命していたころに見た日本陸軍の軍服で、彼は日本人の軍事顧問とともにこのスタイルを考案したといいます。

まず目につくのはステンカラー(立折襟)でしょう。軍服にはまず身体の安全を確保する役目があります。そこで体を覆う部分を多くするために喉元までぴったり締まるステンカラーや詰襟をよく用います。中山装も前合わせを直線にして5個の釦を付け、襟元はホックで留めて隙間が広がらないようにしています。

両胸、両腰にフラップ(蓋付き)ポケットつけているのも軍服的です。戦場では携帯品を入れるためのポケットがたくさんあった方がよく、雨中でも内部に水が入らないように蓋で覆う必要がありました。背後から見ると背中の両脇を開けたサイドベンツにしていますが、これは左腰にサーベルや短剣を差していた名残です。

軍服は戦闘服であると同時に礼装であり、背広の原型でもあります。中山装を儀礼の席で着用することも失礼ではありません。


▼第106回  婦人服のオーダー

 

 ハンドメイドの注文紳士服を縫う店に先駆けてなくなっているのが婦人服のオーダー店です。岡山市でもかつては表町商店街のイルヤさんなど有名店が軒を連ねていたのですが、今ではほとんど姿を消してしまいました。

 当店にもときに婦人服を縫って欲しいという注文があるのですが申し訳なく思いながらお断りしています。パンツスーツなら紳士も婦人も同じような仕立て方だろうと思われがちですが、女性が服に求めておられるものは男性とは全く異なるのです。紳士服なら見て美しく着て着やすい服を作れば良く、そのためのノウハウは所持しているつもりです。ところが婦人スーツの美しさは紳士服とは見方が異なり、着やすさよりもラインが優先されます。

例えば上着が小さすぎると前釦を留めたとき引きつれて横シワが出ます。紳士服では許されない欠点ですが、婦人服にはそのシワをデザインに昇華させたスタイルがごく普通にあります。上着丈が短いのはウエストとヒップのサイズ差が大きいため両方に合わせることが無理だからです。膨らんだバストへの対応にも私どもが持ち合わせないデザイン感覚が要求されます。

なお婦人服の釦が紳士服とは反対側(左手側)についているのは、かつての上流婦人は侍女に服を着せ付けてもらっていたため、侍女の右手側に釦を付けたためと思われます。写真は昔昔娘のために仕立てたパンツスーツです

第105回  仕立屋の昔話

 

 五十日と書いて「ごとび」と読みます。辞書には「月の5と10で終わる日のことで商売上の支払いが行われる」と記されているのですが、この頃は使う方も少なくなった言葉でしょう。私が仕立屋世界に入ったころ(半世紀も前です)は毎月5日、10日は取引先に集金に行く日と決まっていて、商売屋の者がいっせいに動くものだから街路は営業車で溢れ、渋滞気味でした。

 毎年秋になると馴染みの生地問屋さんが大きな鞄に来年用の舶来夏服生地のサンプルを詰めて当店にやって来ます。小さな端切れを見て仕入れる生地を選ぶと次の年の春にヨーロッパから船便で日本の商社に生地が運ばれ、一着分にカットされたものが当店に届きます。5月初めにはお得意様に「新作夏服生地が入荷なりましたのでご覧ください」というお手紙を差し上げていました。この頃は英国製、イタリア製生地が毎日のように航空便で輸送されるようになり、いつでもオールシーズンの生地が揃っています。

生地問屋さんへは毎月月末〆、翌月10日払いの約束手形で生地代を支払っていました。手形を振り出すには当座預金口座が必要で、当座を所持していることはちゃんとしたテーラーの条件でした。近年は生地代の支払いも現金か銀行振り込みになり、手形の顔はしばらく見ておりません。仕立屋商売も昔とはずいぶん様変わりしました。

▼第104回 変形カラー

 図左は北朝鮮の金正恩氏が着用している人民服のデザインです。襟はステンカラー(立折襟)で、襟元をホックできっちり留めることができます。両胸、両腰にフラップポケットを付け、背面にはサイドベンツを入れています。あの丸いお腹にシワひとつなくぴったりと沿わせたお仕立てはたいしたもので、腕の良い仕立屋さんによるハンドメイドだと思われます。

 人民服といえば真ん中のチャイナカラー(詰襟)をイメージする方の方が多いかもしれません。かの毛沢東が愛用していたことからマオカラーとも呼ばれ、古典的スパイ映画においては敵方首領のトレードマークでもありました。

右図はバルカラーという襟で、下襟より大きな上衿が特徴。コートには一般的なデザインですがジャケットに使っても面白い、ヨーロピアンなムード漂うスタイルです。

3種類の襟ともクラシカルで謎めいた印象を与えます。金正恩氏の服はフロントラインを真っすぐ下に下ろしているので軍服的かも知れませんが、右ふたつのように普通の背広と同じく裾線を左右に逃がせばソフトになります。いつものデザインでは飽きたらないというオシャレな方はこんな襟を試してみてはいかがでしょう。建築家など先生と呼ばれる職業の方に似合い、オフタイムに着てもたいへんカッコイイのではないかと思えます。

▼第103回 ループタイ

9月、あるいは10月までクール・ビズが続きますが、上着を着てネクタイをしないスタイルはどう工夫してもおしゃれに見えません。本来ネクタイを締めるべきなのだけれど暑くて我慢できないので外しましたという形が強調され、だらしない印象がぬぐえないのです。そこでお勧めしたいアイテムがループタイです。

ループタイは写真のように紐状になったネクタイで、最大の特徴はワイシャツ襟元の第1釦を外したまま締めても構わないことです。シャツの釦さえ留めなければ首回りの風通しがよく暑さを感じさせません。ループタイは年配者向けというイメージに意味はないのでこの際さっぱり捨てましょう。ネクタイもループタイも機能的な役割を持たない純粋のおしゃれアイテムで、身に着けていること自体が身なりに気を使っていることの表徴なのです。

アクセサリー部分を襟元近くまで上げるときちんとして見え、やや低め位置で留めればカジュアルな印象になります。買うときはこの部分に目が向かいがちですが締めると本人には見えず、目立つのは紐の色の方です。市販品に多い黒紐のループタイは夏には暑苦しく見えるのでベージュなど明るい色をお勧めします。

もちろん秋以降にもループタイは使用できます。シャツの襟元釦を閉じてアクセサリー部分を一番上まで上げて締めれば利用者が少ないだけに個性が際立ちます。

 ▼第102回 齋藤哲也さん 追悼

 

神戸出身の競輪選手齋藤哲也さんは悪性リンパ腫のため40歳で引退した後もユニークな人柄で人気を集めスポーツ新聞にコラムを連載しておられました。自らデザインしたズートスーツを当社で仕立て、これを神戸で流行らせると意気込んでおられたのですが、この度訃報に接しました。写真はコワモテですが陽気で愉快な方でした。
(ズートスーツ=1940年代に流行したギャング・ファッションで長い上着丈とダブダブのズボンが特徴。大量の生地を必要とする豪華なデザインです)

 ▼第101回 手アイロン8割

 

 写真は当店でいつも使っている重さ2,8㎏の業務用アイロンです。洋服にアイロン掛けをするときは掛けたい部分の布地を平らにしておくことが肝要です。きちんと平らになっているかどうか手で撫でて確かめる作業を手アイロンと呼び「手アイロン8割」とおっしゃる先輩がおられました。手アイロンができればもうアイロン掛けは8割方終わっていて、後はその部分にアイロンを置くだけだといわれるのです。

 アイロンを「当て切る」という表現もあります。アイロン掛けする部分に霧を吹いておくのですが、吹きかけた水分が全て蒸発する瞬間までアイロンで押さえつけておくのが望ましいという意味です。布に湿り気が残っているとアイロンを持ち上げたとき白く湯気が上がります。これは押さえておく時間が不十分な印で、湯気が見えず布が焦げもしない丁度良い時間を見計らってアイロンを持ち上げるのです。

 上着にアイロン掛けする場合は一カ所当てるたびに手で宙に持ち上げて形を確かめます。夏場ならアイロン掛けした部分に扇風機の風を当てて急速に冷やしてやります。布地は熱と蒸気と圧力を加えられると柔らかくなって自在に形を変え、冷えるとそのままの形状で固まる性質があります。熱いアイロンの力で生地を柔らかくして形を整え、思い通りの形になったところで冷やして固めてやるのです。

▼第100回 マニアックなお店?

 

 「ロンドンさんはマニアックなお店だから」といわれることがあります。私としてはごく普通の洋服をお仕立てしているつもりなのですが…どうも個性的なお客様が当店を目指してお越しになっている様子なのです。

 写真のジャケットは生地の裏側を使って手縫いしています。服地をご覧になったお客様が「裏の方が綺麗な柄が出ているのでこちらを表にして欲しい」とおっしゃるのです。ひっくり返して仕立てることは難しくありませんが裏使いでも問題はないか見極めねばならず、それなりの眼が必要です。襟はフィッシュマウスという変形デザインです。

先週はヴィンテージな生地を探しているというお客様が東京からわざわざ新幹線でいらっしゃいました。英国ドーメル社がトニック、スーパーブリオといったブランド名で半世紀前に発売した生地は今でも人気があります。生地商社が集中している神田須田町に行っても好みの柄が見つからず、当店のHPを見て問い合わせがあり、少しお話しするとお勤めを休んで来岡。店内にたくさんコレクションしている古い生地を見て「宝島に来た気分だ」と喜ばれ十数枚も購入して帰られました。「こんなラインの洋服が流行しています」とファッション誌をお見せしても「流行は取り入れなくて構いません」とおっしゃるお客様が多いのも当店の特徴と思われます。

▼第99回 職人さん

 

 テーラーにとって一番の悩みは本格的な洋服を手縫いできる職人さんが皆お年を召してしまっていることです。半世紀に渡って当店の服を縫い続けてくださっていた職人さんたちは80歳を超えて次々と引退しています。後継となる若い縫い手の方もいるのですが、往年の職人さんの神業のような手腕には及ぶべくもありません。時間をかけて技術を育てる環境が失われているからです。

仕立屋を支えて下さる職人さんも数少なくなりました。裁ち鋏の、とくに刃先の先端はシャキンッと音を立てて切れてくれないと思うような裁断・縫製ができません。定期的に研ぎに出す必要があるのですが、長年お願いしていた研ぎ師さんが引退し、ここ数か月の間切れ味の鈍い鋏に悩まされていました。先月になって知人のテーラーから市内にベテランの研ぎ職人さんがおられることを教わり、大喜びで手持ちの鋏を順番に研ぎに出しているところです。

近年コンピュータが上手に生地を裁断し、新開発された縫製工場専用ミシンがなかなかの仕事をするようになりました。街でオーダースーツと呼ばれ販売されている洋服もほとんどは機械縫製なのが実情です。それでも私どもの目から見れば手縫いと機械縫いには歴然とした違いがあり、全く趣きの異なる洋服が出来上がっているように思えます。

▼第98回 クールビズ

 クールビズは今から14年前に小泉内閣で発表されました。省エネのために冷房を28度に抑えたオフィスで仕事しやすいようノージャケット・ノーネクタイの軽装を奨励したのは当時の小池百合子環境大臣です。国の方針に全国の地方自治体は即座に同調し、民間へも呼びかけました。当時岡山県知事にお会いした際「国も県も熱心にクールビズを進めておられますが、洋服屋には都合の悪い政策ですね」と冗談交じりにお話したところ「県は国相手に各分野で厳しい交渉を重ねなくてはならないので、服装くらいはいうことをきいておかねらないでしょう」とのお返事でした。

 アパレル業界はノーネクタイでもだらしなく見えないシャツスタイルを模索し、消費者に提案してきました。写真は当時流行した、襟元に釦を縦に二つ並べてアクセントにしたボットーニというシャツ。本体はピンクなのですが襟とカフスを白生地にしたクレリック仕立てです。
しかしながらクールビズはあくまで機能優先の仕事服で、あまり恰好のよいものではありません。
おしゃれにはやせ我慢が必要です。

第97回 仕立屋言葉

 どの業界にも独自の言葉が存在します。ズボンの裾を折り返したデザインは一般にダブルと呼ばれていますが、洋服を縫う職人さんはこれをカブラといいます。寒い季節の根菜である、あの蕪のことです。日本の職人さんは明治時代に外国人が着ている洋服を初めて目にし、早速これを縫おうとしました。ダブルになったズボン裾を見て「これは何か」と西洋人に尋ねると、「turn up(折り返し)」だという答えが返ってきました。その発音が「turnip(蕪)」と混同されてカブラの語源になったそうです。ズボンの後ろポケットを「ピス」と呼ぶのは、その昔ここに護身用のピストルを入れていたためだと聞きました。

以前は一般の方でも経年劣化した糸が切れやすくなる現象を「糸がくみる」とおっしゃっていました。辞書を引いても「くみる」という単語は掲載されておらず、裁縫独自の用語かと思えます。糸がくみる現象は絹糸でよくみられるのですが、近年家庭では化繊の糸を使うようになったので、この言葉も今や絹糸をよく使う仕立屋の間だけで通じる用語になっているかも知れません。

裁ち鋏で生地を留めているシツケ糸を切っているときなどに、どうかすると刃先が生地に当たって小さなV字型の切れ込みを作ってしまうことがあります。仕立屋はこれをタケノコと呼んで恐れています。

▼第96回 デニムスーツ

岡山はデニム生地の産地です。ジーンズ素材として使われるデニムで、当店ではしばしばスーツをお仕立てしています。地元選出の国会議員の先生方や伊東香織倉敷市長も、岡山らしい服装としてインディゴ(藍色)のデニムスーツをよく着ておられます。私のお勧めは黒やグレーに染めたデニムの三つ揃い=写真=で、これなら会社員の方の仕事着としても十分通用します。服を一見しても素材が分からず、触ってようやくデニムであることに気づいておしゃれ心に感心して下さいます。

 デニム生地は綿糸で織られていますが、経糸だけに藍や黒などに染めた糸を使い横糸には白糸を使う点に特徴があります。経糸の染料も表面だけ染み込んでいて芯は白いままです。そのため長く着ていると肘や膝などよく動かす部分では生地の表面が擦り切れて白っぽく見えるようになり、デニム独特の風合いが生まれます。綿100%なのでシワになりやすく、ズボンの前ラインは着ているとすぐに消えてしまいます。

ウール生地なら欠点ともいえるこれらの要素はデニムが元々ヘビーデューティーな労働着の素材であったことに由来します。しかしこれを通常の背広と同じ手法できちんと仕立てるとウール素材とは異なるデニム独自の特色となり、着用なさっている方の存在感を増すことに役だっています。ジーンズ同様季節を選ばず着用できることも強みです。



▼第95回 英国の羊


写真右側の白い羊はメリノ種で、左の顔と手足が黒い方は英国で多く飼われているサフォーク種の羊です。メリノ種の羊からは織物に適した細くて長い羊毛を刈り取ることができ、オーストラリアやニュージーランドの主要な輸出品になっています。メイド・イン・イングランドと表示されている洋服生地も原料となる羊毛の多くはオーストラリアやニュージーランド産で、イギリス羊の毛はあまり使われていません。英国産の羊毛は太くて短く、織り上げると固い生地になってしまうからです。重厚な服地を使ってこそ英国伝統のスーツが仕立てあがるのですが、近年の高級紳士服は薄くておしゃれなイタリア製の生地を使用したものが主流。かつて世界一の流通量を誇った英国生地はイタリアに追い抜かれたばかりか大きく差をつけられているのが実情です。テーラーロンドンが屋号の当店では分厚い英国生地をしぶとくコレクションしてはいるのですが。


▼第94回 型紙

ハンドメイドスーツの話によく出てくる型紙とは洋服の実物大設計図のことです。大判のハトロン紙の上にお客様の寸法とデザインに合わせた設計図を描き、輪郭線に沿って切り抜いて作ります。千人のお客様がいらっしゃれば千組の型紙が必要となります。

写真は私のズボンの型紙です。左側が前身で、左上角はお臍の真上に当たります。右が後ろ身で右上角は腰の真後ろ。そこから下に向かって尻線の合せ目が伸び、尖っている部分は股に入ります。この型紙はツータックを想定しているのでタックの数が異なれば別に作ります。腰回り90㎝、股下78㎝に設定していますが太ってウエスト寸法が大きくなれば型紙も新たなサイズで作り直します。上着やベスト、その他細かい部品もそれぞれに型紙を作ります。

洋服生地は幅約150㎝あり、これを縦二つに折って裁断します。裁断台の上に生地を置き、型紙を乗せてチャコで輪郭線を写し取ります。線に沿ってハサミを入れるとき二枚重なった生地を一度に切ってしまうので左右対称の同形部品が同時に二つでき、これが洋服の右側と左側になります。

型紙の直線部分を描くときは定規を使うのですが多数ある曲線部分は往往にしてフリーハンドで描いていて、これが洋服のシルエットを左右します。型紙の線はそのお客様の体を柔らかく包む曲面を意識して描かれています。

▼第93回 ツィード

 寒い時期にはツィードを使ったジャケットのご注文をよく頂きます。写真は中で最も有名なハリスツィード生地です。一般的な洋服生地(ウーステッドといいます)は艶があって滑らかな手触りをしているのですが、ツィード生地は表面がザラザラちくちくしていて、毛糸のセーターをもう少し丈夫にしたような感触です。どちらも同じウール(羊毛)100%なのですが、原材料となっている羊の種類が異なるのでまるで違った印象の服になります。

 一般的なスーツ地はメリノ種という羊の毛で織られています。オーストラリアの観光案パンフレットには必ず登場する全身真っ白でモコモコしていて、雄にはくるんと巻いた角が生えている羊で、世界で最も多く飼われている種です。
 これに対してツィード生地はサフォーク種など英国北部のスコットランドの荒野でよく飼われている羊の毛で織られています。厳しい自然環境に対応した粗い毛質がラギッド(荒々しい、男らしい)な印象を与えます。英国製スーツ生地の多くがオーストラリアやニュージランドから輸入した羊毛を原料として織り上げている中、ツィード生地は純英国産といえます。

 

▼第93回  政治家の洋服

 一昨年トランプ米大統領が来日し、安倍首相と2日間に渡って首脳会談を行いました。合意内容を発表する場面では両首脳とも濃紺のスーツに明るい青無地のネクタイというペア・スタイルでカメラに収まっていました。もちろん偶然ではなく、両国足並みをそろえた同盟関係を世界にアピールする視覚的効果を狙っての服装でしょう。

 トランプ大統領は自国でもよくこのスタイルで人前に出ています。スーツはいつも無地でやや大き目サイズ。前釦を留めない着方はもはやトレードマークとなっていて、天皇陛下と会見する場面でも実践していました。ネクタイは青か赤の無地、あるいはレジメンタル(斜め縞)に決まっていて、ベルトの下方まで長く垂らしています。どうもおしゃれにはそれほど関心がないようです。

 これに対して安倍首相は国会においてしばしば色鮮やかな青のスーツを着用しています。良質な生地のハンドメイド仕立てで安いものではありません。歴代の総理大臣の中でも際立っておしゃれといえるでしょう。日米首脳会談においては首相の方からトランプ大統領のスタイルに合わせたのだと思われます。

 なお当社のお客様にも政治家の方が何人かいらっしゃいますが、どなたもお一人でご来店になってご自分で生地を選び、懐から財布を出してお支払いくださっています。

▼第92回 服装にまつわる名言

「服装が人を作る。丸裸になった者の社会での影響力などほとんど無いか全く無い」これはアメリカの小説家マークトゥエインの言葉です。リンカーン大統領がいかに演説の名人であろうとも裸で壇上に立ったならその言葉に耳を傾ける聴衆は皆無でしょう。
女優マリリン・モンローの言葉「あなたはどういう人であるかではなく、どう見えるかによって判断されるのです」はハリウッドの外でも通用しそうです。

「服は金の許す限りいいものを。けばけばしいのはいかんぞ。服装は人格を表すからな」これはシェークスピアの戯曲ハムレットの中で父親が息子に忠告するセリフ。おしゃれにある程度のカネがかかるのは事実ですが、手持ちの金を何に注ぐかはその方が生きる上で何を重要視しているかを示しています。
夏目漱石は「表面を作るということは内部を改良する一種の方法である」と言い、服飾に使うお金は自分への投資だと考えていたようです。

社会学者スティーブン・オーゲルの著書には「服装が男性を作り、服装が女性を作る。衣装こそが本質である」とあります。自分の意思で服を選んでいるつもりでいたのですが、逆に服が自分を作っているというのです。
ナポレオンに至っては「人はその制服通りの人間になる」とまで言い切っています。写真は出典不明ながら昔から当店の壁にかかっている標語。

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