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▼第34回 裏地の付け方

 当社でお仕立てする冬服の多くは内側を上の写真のような「総裏」にしています。内側全体を裏地で覆ってしまう仕立て方です。春になると背中部分の裏地を抜く「背抜き」にします。夏には脇腹部分の裏地も抜いてしまう「半裏」「単衣(ひとえ)」でお仕立てします。季節によって変えるのは、基本的に裏地の面積が多い服ほど温かいからです。

 冬服を総裏にする理由はもうひとつあります。寒くなるとカシミアやツィードなど表面が毛羽立った厚みのある生地を使う機会が増えます。そうした生地は摩擦係数が高いので、内側全体を滑りの良い裏地で覆った方が着やすいのです。

50年ほど前までは裏地としてアルパカという毛織物を多用していました。毛織物は温かいのですが摩擦に弱いという欠点があり、とくに裾部分の裏地が擦り切れて取り換えねばならないことがありました。その後サベリという裏地専用の滑りの良い生地が出回るようになりました。当社も今では上着の裏地として季節に応じた厚みの、艶の良い綿糸で織ったサベリを使っていています。既成服ではさらに丈夫で安価なポリエステル製のサベリがよく使われています。現在でも寒い地方のお客様からはなるべく温かい裏地を使って欲しいというご要望があるので、冬服用アルパカも取り置いています。

▼下の写真は広見返しの単衣(ひとえ=半裏)という仕立てです

33回 ワイシャツの胸ポケット

 

 多くの方が着ておられるワイシャツの左胸にはポケットがついていることと思います。ところが洋服の本場である欧米では胸ポケットを付けないシャツが主流です。それではボールペンを挿すところがなくて不便だろうと思えるのですが、欧米のシャツにポケットがない原因はワイシャツが普及した歴史的経緯にあるようです。

 高温多湿の日本ではほぼ全員がワイシャツの下に綿の肌着を着ています。そうしないと汗でワイシャツが体に張り付き、不快だからです。ところが空気が乾燥している欧米では汗をかくことが少なく、素肌の上に直接ワイシャツを着る方が一般的です。映画でも美女とともにベッドで朝を迎える男優はたいてい素裸で、目をさますと裸の上からすぐワイシャツを着るというシーンをしばしば目にします。つまり彼らにとってワイシャツは下着なのです。日本人も肌着にポケットがあると変に思えることでしょう。欧米人の目には、胸ポケット付きワイシャツはそれと同様の違和感があるようです。

 もっとも当社でも礼装用ワイシャツを仕立てる場合は胸ポケットを付けません。その方がドレッシーだからです。逆に欧米でもビジネス用ワイシャツには胸ポケット付きのものが増えていると聞いています。

32回 オーダーの将来は明るい!?

 

仕立屋とはずいぶん古い言い方で、30年ほど前までは注文紳士服店という呼び名が一般的でした。最近はオーダースーツ専門店というのでしょうか。どれもお客様の注文に応じて洋服を仕立てるお店のことです。

50年前には注文洋服を着る男性が半数以上おられましたが、次第に既製服が普及し年号が平成に変わる頃に青山さんやはるやまさんに代表される量販店が台頭して以後は9割以上の男性が既製服を着用するようになりました。消滅するかに思えたオーダー服ですが近頃は風向きが変わってきています。若い方が注文服に目を向けるようになり、シェアを回復する傾向にあるのです。当社でも少し前までは地元企業の経営者の方々が主なお客様でしたが、近年は成人式や結婚式を迎えるにあたって洋服を注文される方が次々お見えになるなどお客様の平均年齢が若返っています。

背景にはコンピューター裁断や工業用ミシンの発達によって注文服をマシンメイドする技術が向上したことがあります。追い風を受けて都市圏では麻布テーラーさんなどオーダースーツのチェーン店が数を増やしています。バンチサンプルと呼ばれる生地見本とメジャーさえあれば開業可能という手軽さから、自動車1台で無店舗営業する起業家も出ていて、注文紳士服の将来は意外に明るいものと思われます。

▼第31回 掛けの良い服

 仕立屋の店頭にはよく写真のような人体(じんたい=ボディ)が置かれています。当店では縫いあがった注文服をお客様が取りに見えるまでの間、人体に着せています。ディスプレイという意味もありますが、ハンガーにかけておくよりも人体に着せておいた方が服の形が崩れなくて良いのです。とはいえ注文主と人体では体型が違いますので、肩にパットを入れるなどして調整しています。

 当店のお客様には全国展開しているセレクトショップのお店の方もいらっしゃいます。御社で良い洋服を販売しているではありませんかと申し上げると「ウチの服は『掛け』を重視しています。着るとロンドンさんの服の方が着やすいですよ」とおっしゃいます。「掛け」とは出来上がった服をハンガーに掛けたときの見た目のことです。既製服店さんには美しく縫い上がった服がずらりと並べられていて、幅広いお客様に対応できるようサイズ展開されています。それに比べると注文服はハンガーに掛けたとき変なところにシワがよっていることがあります。オーダー下さったお客様に合うよう裁断しているからです。注文主が着用なさったとき美しく見える服を縫い上げるのが私ども仕立屋の仕事です。

▼第30回 ハンドメイド・スーツは立体感が命

 

 当社でお仕立てする洋服には職人さんの手縫い(ハンドメイド)と工場に縫製をお願いするマシンメイドの2種類があります。同じ生地を使ってもお仕立て上がりの値段はマシンメイドで10万円なら手縫いだと18万円ほどになります。お値段にこれだけの違いがあるのですから出来上がった洋服に価格相応の差がなくては商売にならない筈。しかし仕立て屋の家に生まれた私でも以前は手縫いと機械縫いの洋服にそれほどの差があるようには感じられませんでした。それどころか工場で縫って頂いた服の方がスマートでラインが綺麗に思えたほどです。

仕立屋になって40年ほど経った今ならさすがに両者には歴然とした差があることが分かります。テレビを見ていても、ああ今日の出演者は素晴らしいお仕立てのハンドメイド・スーツを着ておられるなと感服することがあります。洋服に立体感があり、ふっくらとした曲面で内部に存在する人体を包んでいることが見て取れるのです。平面である生地を立体である人体に沿わせることは物理的に無理な筈ですが、手縫い服は裁断された服地を職人さんがアイロン操作によって歪め、曲面にすることでそれを可能にしています。手作業でしかできないこの作業を「くせ取り」といい、洋服作りの要となっています。


第28回 ポケットチーフ

 

 上着の胸ポケットにポケットチーフを入れている方を時にお見受けします。たいていはお洒落な男性で、周囲からちょっとキザなヤツだと思われているかもしれません。いや私もチーフの愛用者です。

 胸ポケットにチーフを入れるスタイルは19世紀に始まったひとつの流行です。逆にいえば胸ポケットはチーフを入れるために19世紀になって作られるようになったアイテムで、それ以前の洋服を見ると胸には何もついていなくてつるんとしています。ここにはチーフを入れる以外の用途はなく、ペンなどを挿すのはルール違反といえます。ポケットチーフは全くの装飾品で実用的な役割はないため、手を洗ったあとで使うハンカチーフは別に持っておく必要があります。

 モーニングなど礼装に使うチーフは絹か麻でできた白無地が原則で、四角や三角(スリーピクス)にきちんと折って使います。しかし普段着用するスーツの場合は色柄の華やかなものの方が見た目に美しく、ネクタイと色を合わせても楽しいかと思います。たたむのではなく真ん中をつまんでポケットの中に押し込むパフドというスタイル=写真=がお洒落です。当社で仕立てるお洋服に綺麗な裏地を使うときは、そのハギレを四角く切ってポケットチーフとして使えるようにお渡ししています。

27回 杉下警部の三つ釦スーツ 

 テレビドラマ「相棒」の主人公杉下右京警部(水谷豊)はいつも三つ釦のスーツを着用しています。他の登場人物は全て二つ釦の背広を着ているので大いに目を引きます。三つボタン着用には、主人公の周囲に同調しない孤高な行動理念を際立たせるという以外にもうひとつ理由があるように思えます。それはこの番組の放映時期と関係しています。

「相棒」は毎年10月から翌年3月までの半年間だけ週1回放映される刑事ドラマで、杉下警部は寒い季節だけテレビに登場します。三つ釦は二つ釦よりも第1釦の位置が高いのでVゾーンが狭くなります。胸元から冷気が入ってこず、体を覆っている部分が大きいので見た目も暖かそうです。釦数が多い服は冬向きのデザインなのです。

また彼の上着の右腰にはしばしば小さなポケットが余分についています。これはチェンジポケットと呼ばれるチェンジマネー(小銭)を入れるためのポケットです。欧米ではホテルやレストランなどいろいろな場面でチップが必要なため、いつでもすぐにコインを取り出せるように考案されました。チケットポケットともいい、列車の切符入れとしても利用されます。紅茶とともに彼の英国趣味を表現するアイテムとして付けられているのでしょう。

第26回 ポケットチーフ

 

 上着の胸ポケットにポケットチーフを入れている方を時にお見受けします。たいていはお洒落な男性で、周囲からちょっとキザなヤツだと思われているかもしれません。いや私もチーフの愛用者です。

 胸ポケットにチーフを入れるスタイルは19世紀に始まったひとつの流行です。逆にいえば胸ポケットはチーフを入れるために19世紀になって作られるようになったアイテムで、それ以前の洋服を見ると胸には何もついていなくてつるんとしています。ここにはチーフを入れる以外の用途はなく、ペンなどを挿すのはルール違反といえます。ポケットチーフは全くの装飾品で実用的な役割はないため、手を洗ったあとで使うハンカチーフは別に持っておく必要があります。

 モーニングなど礼装に使うチーフは絹か麻でできた白無地が原則で、四角や三角(スリーピクス)にきちんと折って使います。しかし普段着用するスーツの場合は色柄の華やかなものの方が見た目に美しく、ネクタイと色を合わせても楽しいかと思います。たたむのではなく真ん中をつまんでポケットの中に押し込むパフドというスタイル=写真=がお洒落です。当社で仕立てるお洋服に綺麗な裏地を使うときは、そのハギレを四角く切ってポケットチーフとして使えるようにお渡ししています。

▼第25回 サスペンダーの効用

 サスペンダー(ズボン吊り)の評判が、我が国ではどうもおもわしくありません。七五三参りの子供か、あるいはお腹の出たオジサンが使うものというイメージがあるようです。私はサスペンダーの愛用者で、ベルトをしない日はあってもズボン吊りを使わない日はありません。ベルトよりもズボンの落ち着き具合がずっとよいからです。

 「アンタッチャブル」は1930年頃のアメリカを舞台にアル・カポネとシカゴ警察の精鋭との死闘を描いた映画です。登場するギャングも警官もきちんとしたスーツを着ていて、ズボンにはベルトとサスペンダーの両方をつけています。俳優だからというわけではありません。当時の街角を撮影したモノクロフィルムを見ると中折れ帽をかぶり仕立ての良い背広を着たしゃれ男が大挙して街を歩く様子が映しだされています。30年代は男性ファッションの黄金期で、ズボンはサスペンダーで吊ることが一般的でした。

 サスペンダーはズボンというよりもズボンの前の折り目を引き上げるためのアイテムで、これを使えば折り目がいつもまっすぐに伸びます。歩いているうちにズボンがずり落ちる不快感もありません。釦式が本格的ですが、クリップ式の方が簡便でお勧めできます。

▼第23回 テーラーロンドンという屋号

 テーラーロンドンという屋号の仕立屋は当社の他長野市と大阪市にもあります。以前はもっとたくさん、日本中に10店舗以上ありました。それぞれ別の店で店主同士面識はありませんが、どのお店も60年くらい前に創業した老舗であることが共通しています。当時英国の首都ロンドンは世界の紳士ファッションの中心地であり、高級紳士服地といえばメイド・イン・イングランドに決まっていました。そのため日本各地の意気軒昂な仕立屋がテーラーロンドンという屋号を名乗りたがり、当社を創業した父もその一人だったのです。そのころの仕立屋さんの店は◯◯洋服店という屋号が一般的で、横文字の店名をつけるのは少々きどった印象でした。

近年はスタイリッシュなイタリア仕立てのスーツが世界的に流行していて、日本でもイタリア的発音の店名をつけた洋服店さんが増えています。軽快なイタリア・ファッションがもてはやされるようになったのは30年ほど前からのことで、それまでのいかにも紳士然とした英国スタイルへの反動が一因となっているように思えます。格調高い英国仕立て、おしゃれなイタリア仕立てのどちらが良いというものではなく、洋服好きにとっては選択肢が増えたとみるべきでしょう。


22回  ドレスサイドとは

 男性は体の中心部に子孫繁栄のために必要な道具を秘匿しています。貴方はズボンを履くとき、これをどこに収めておられるでしょうか。正しい答えは「何もかもズボンの左足側に押し込む」です。なぜなら多くの方は右利きなので必要あって当該アイテムをズボン外部に露出させたいときに右手を使います。筒状物体を左側に常駐させている方が引き出すときスムーズなのです。当社でハンドメイドするズボンの股間部分は左右対称になっていません。右足側より左足側を大きくして見ても分からない程度に膨らみを持たせています。

少数派ではありますがズボンの右足側に道具を収める方もいらっしゃいます。その場合はご本人に確認のうえ右股間部に収納スペースを作り、あまり意識しておられないお客様には「全部左側に入れてください。そうしないと納まりがよくありません」と説明します。

左右どちら側を大きく仕立てるかをテーラーはドレスサイドと呼びます。最近はドレスサイドなしのお仕立てが多くなりました。ズボンのラインが変化したためともいえますが、お客様、仕立屋ともそこまでこだわらなくなったというのが本当のところでしょう。

21回 英国、イタリア、日本製生地

当社の棚に並んでいる洋服生地の半分以上は英国製です。約3割がイタリア製で、残りが日本製というところでしょうか。英国製生地が大半を占めているのはテーラーロンドンという屋号だからということもありますが、品質に信頼がおけることが一番の理由です。同じ英国でも南のイングランドより北のスコットランドの方が厚めの生地を織っていて、有名なハリス・ツィードはスコットランドの生地です。

イタリアは英国よりも緯度が低いため、全般に薄目の生地が織られています。イタリア生地はしなやかで軽く、なによりスタイリッシュであることを目指していて、少々シワになったり丈夫さに欠けるといった点は気にしない流儀のようです。日本製の洋服生地は夏涼しく冬温かいよう工夫されていて、シワに強いことも特徴です。

各国で織られる生地の特徴はそれぞれの国で製造される自動車に通ずるものがあります。英国製の生地はロールスロイスのごとく格調高く、イタリア生地はフェラーリのようにカッコ良く、日本の生地はハイブリッドカーのように機能性に優れています。一定水準以上の品ならどの国の服地も値段に大差はないので、お客様が洋服に何を求めておられるかによってお勧めする生地の生産国が異なります。


▼第20回 生地の長さ

 

 仕立屋を訪れるとたくさんの生地が棚に置かれているのが目に入ります。紳士服用の生地は157㎝幅で織られているのですが、店頭では縦二つに折った78,5㎝幅の形にして折りたたむか巻板に巻いています。長さ3,2mにカットされたものをスーツ1着分として商社から仕入れます。半世紀前には生地の長さは2,8mが一般的でしたが、年を追うごとに1着分が長くなっていきました。日本人の体格がよくなってきたことも一因ですが、理由はそれだけではありません。

当時の洋服はハンドメイドが主体で、注文を受けるとそのお客様のためだけの型紙を起こしていました。スーツの型紙は前身、袖、背中など10ほどの部品に分かれていて、これを服地の上にジグソーパズルのように並べていきます。生地は英国製が主体で、たいへん高価でした。1ドル360円の時代ですから舶来品は単純に現在の3倍の価格だったのです。仕立屋はなるべく短い生地で全ての部品が取れるように工夫して型紙をならべていました。

円高が進むとともに生地の値段は相対的に安くなり、工場に裁断から縫製まで全て任せてしまうマシンメイドの店が増えました。時代に適合する形で1着分の生地の長さは次第に長くなってきています。

19回 夏合服にはモヘアがお勧め

←モヘアの三つ揃い 

 市販されている洋服の多くは毛織物で作られていて、原料は羊の毛であるもウールが最も一般的です。世界中で何億頭も飼われている羊の毛を刈り取り、撚り合わせて紡いだ糸で織り上げたウール生地は見た目が美しく肌触り良好です。保温性があって冬服として着ると温かいという長所がありますが、逆に言えば夏に着ると暑いということを意味します。そこで仕立屋では夏服の素材としてよくモヘアを使います。

モヘアとはトルコや南アフリカで飼われているアンゴラ山羊(ヤギ)の毛のこと。羊と山羊はよく似た動物ですが毛の性質が異なります。動物園で羊をなでるとふかふかと柔らかく弾力があります。羊毛は11本がくるくると巻いたバネ状になっているので長く伸びると絡み合い、ぶ厚い絨毯のようになって羊の体を覆っているからです。もつれ合った繊維の間に空気を蓄えるので手で触ると温かく感じます。

これに対してヤギの毛は直毛なので、体を撫でるとすべすべしています。毛の保温性が低いので織物にしても冷たく感じ、夏服や合服の生地として利用されます。ツヤと光沢があるのも特徴で、集合写真など撮るとモヘアの服はフラッシュの光を反射してよく目立ちます。

▼第18回 略礼服は日本だけの服装です

 結婚式や葬儀の席に、多くの方は略礼服と呼ばれる黒色のスーツを着て出席します。これは他国では見られない日独特の慣習で、略礼服が普及した経過はバレンタイン・チョコとよく似ています。バレンタインデーは西洋の聖人バレンタインに由来する記念日ですが、日本では1950年台に菓子メーカーさんがこの日には女性から男性にチョコレートをプレゼントしましょうというキャンペーンを展開し、これが定着して日本独自の一大イベントとなりました。黒の略礼服は同時期にカインドウェアさんという老舗服飾メーカーさんが冠婚葬祭の席には格調高い黒無地のダブル・スーツを着用して出席しましょう、というキャンペーンを展開したことが起源となりました。この企画が大当たりしてとくに葬儀の席では黒無地スーツを着ることが常識となり、同じ黒服でもダブルの方がシングルよりも格が上というイメージが定着したのです。

欧米では葬儀の席には濃色無地調のダークスーツの着用が一般的です。黒服もダークスーツの一種ではありますが一般的には濃紺かチャコールグレーが使われています。 

17回 お台場仕立て

 

 写真は上着の内側で、見返しの表地が横に伸びて裏地を上下に分断しているお台場という仕立て方です。お台場とは江戸幕府が黒船襲来に備えて東京湾の入り口に設けた砲台のこと。突き出した形が突堤に似ていることからお台場仕立てと呼ぶようになりました。お台場は裏地を取り替える場合に便利なよう考案された仕立て方です。

 50年くらい前まで仕立屋は上着の裏地としてアルパカという毛織物、あるいはシルクを使っていました。いずれも品質は良いのですが摩擦に弱く、擦り切れることがありました。人体は骨盤が横に張り出しているので、歩くたびに上着の内側が腰の横と擦れ合います。そのため長く着ると裏地の下部、腰骨に当たる部分が擦り切れてしまいます。そのときは裏地の取り替えをするのですが、お台場仕立てなら台場から下の裏地だけを取り替えればよく、とくに内ポケット部分を解かなくて済むのは大きなメリットでした。

 当社では最近では裏地にキュプラという素材を使っています。滑りが良いため擦り切れることは滅多になく、裏地を取り替えることもなくなりました。お台場は本来の役目を失い、かつての名残りとして付けられています。現在でも裏地には昔ながらのアルパカを使って欲しいとおっしゃるお客様は時々いらっしゃいます。(既製服の多くはポリエステル製の裏地を使っています)

16回 礼服には3種類あります

 ←略礼服
一般的に略礼服と呼ばれる黒無地スーツは
礼服を略した服装であって、礼服ではありません。
現代の礼服には以下の3種類があります。

(1)モーニング:黒の長い上着に縞ズボンというスタイルで、結婚式の新郎新婦の父親、お葬式の喪主、卒業式の校長先生が着用しています。結婚式、お葬式、卒業式はいずれも式典で、式典の格式を守るために礼装を着ているのです。新内閣が誕生すると翌日の新聞には閣僚の皆さんが国会議事堂の階段のところに揃いのモーニング姿で並んでいる写真が掲載されます。新任の大臣は皇居内で行われる認証式に出席するためにモーニングを着用し、式典が終わった後であの写真の撮影に臨んでいます。

(2)イブニング:モーニングは午前中から午後4時頃まで着ることができる昼間の礼服で、夕方以降に着る礼服はイブニングです。細長いテールがついていることから日本では燕尾服と呼ばれています。社交ダンスやオーケストラの指揮をする方が着ています。

(3)タキシード:アカデミー賞授賞式でハリウッドスターが着用しています。襟をシルクで作ることが条件です。昔の照明はロウソクでしたので、襟にロウソクの光を反射して光るシルク生地を使うことが夜の礼服の象徴となりました。

  

15回 上着の下釦は留めないで!

 

 シングル2ツ釦の上着の前身に二つ付いている釦のうち、下の釦は留めないでください。この釦は全くの飾りで、仕立てる私どもは留めることを想定していません。

 上の釦(第1釦)とそのボタン穴は人間の体の中央を貫く線(正中線)の上で重なり合うように設計されていて、留めることができます。ところが上着の前の打ち合わせ線は第1釦の少し下から外側にカーブを描いています。下の釦(第2釦)とボタン穴の位置はこのカーブに沿ってそれぞれ正中線から1mm程度外側にずれています。(図参照)そうしないとデザイン上バランスがとれないのです。釦とボタン穴の間は合計2mm離れる計算になるので、製図上ではこの釦は掛からない位置にあります。実際の洋服は布でできているので引っ張って掛けることが可能ですが、ボタン周辺に横ジワが出ます。離れているものを無理に引き寄せて掛けているので、引きつれジワが出ているのです。

前合わせ線を外側にカーブさせるのは歩く時に脚が当ってじゃまになるのを防ぐためのデザインです。学生服のように前合わせが真っ直ぐ下に降りている服の場合は縦に並んだ釦と釦穴の位置が正中線上で一致するので、全ての釦を留めることができます。

14回 本開きの袖口

 ワイシャツの袖口にはボタンが付いていて、これを外すと袖まくりすることができます。背広の袖口に付いている釦も外せるように仕立てることができ、これを本開き、あるいは本切羽(せっぱ)と呼んでいます。

サージャン・カフス(外科医の袖)という呼び名もあります。昔のお医者さんが腕まくりをして手術に臨むとき、めくりやすいように袖釦を外す仕立てにしたというのです。兵隊さんが軍服の袖口を汚さないように釦を付けたという逸話もファッション誌に紹介されていましが、どうも説得力に欠けます。ごく細い袖の場合は外せるようにした方が着やすいとはいえるものの、実際のところ袖ボタンはただの飾りとして付けられたと考えています。 

お客様の強いご要望がある場合を除いて当社では本開き袖を採用しておりません。本切羽は袖口にボタン穴を開ける必要があり、穴を開けてしまうとその後で袖丈を短く、長くあるいは細く、太くしようと思っても自由が利かないからです。仕立屋は完成後でもなるべく修正が利くように考えて洋服を作っています。

 第13回「流行は万人が軽蔑しながらも従う暴君である」

 現在市販されているズボンの多くはタックがなく、かつ股上(ウエストから股間までの距離)が浅くなっています。タックのないズボンはスマートに見える反面お尻周りがキツくなります。タックを入れ、股上を深くした方が履き心地が良いのですが、余裕のあるラインが野暮ったいという見方もあることでしょう。どのデザインでも長所は同時に欠点ともなります。

既製服のメーカーは経営戦略として今ある服とは異なるデザインの製品を市場に投入し、消費者に服の買い替えを勧めます。現在はノータックで股上の浅いズボンを推している最中ですが、近い将来ニュースタイルと称してタック入りのズボンを発売すること間違いありません。消費者も履き心地の良い新ズボンを喜んで買い求めることでしょう。メーカー、消費者双方の暗黙の了解によって流行は移り変わってゆきます。

当社も決して流行を否定するものではありません。流行を無視しては格好の良い服ができませんし、新しいデザインの服を着ることはやはり心浮き立つからです。流行を無条件に取り入れるのではなく、普遍性と時代性を兼ね備えた服を作ることが仕立屋の仕事です。

12回 ズボンのファスナー

 

 ズボンの前合わせには自在に開くためのファスナーが付けられています。1891年の米国で靴紐に替わる仕掛けとして発明されたもので、ジッパーという呼び方は開け閉めするときのジーっという音を「Zip」と表記するところから米国メーカーが命名した商品名。正式名称はスライドファスナーといいます。チャックとも呼びますがこれは日本語。巾着のように開け閉めできることから1927年に尾道で「チャック印」と銘打ったファスナーが売りだされ、チャックの名称が定着しました。

 当社では50年くらい前までズボンの前合わせをボタン留めにしていました。当時のチャックは使用中にしばしば動かなくなることがあり、旅行先で開いたまま上がらなくなるという笑えないトラブルが散見されたからです。またズボンを履いているうちに自然にファスナーが下がってくるという事態もよく見受けました。

日本のYKKが安価で高性能なファスナーを生産するようになってからチャックの信頼度は飛躍的に高まりました。故障せず、勝手に下がってこない同社のファスナーはあらゆる衣料に採用され、世界シェアの45%を占めるまでになっています。写真のファスナーの持ち手にあるYKKの文字が読めるでしょうか。貴方が今履いておられるズボンのファスナーの持ち手にもきっとYKKの文字が刻印されている筈です。

 ▼第11回 ワイシャツとカッターシャツ

←イタリアンロールという襟型のドレスシャツ

 背広の下に着るシャツを岡山のテーラーはしばしばカッターシャツと呼びますが、この言葉がテレビドラマや映画の中で発せられることは決してありません。洗剤のコマーシャルでもワイシャツという呼び名が使われています。カッターシャツという言い方は関西の一部で使われているいわば方言であり、商品名であるからです。

 スポーツ用品・衣料などで有名なミズノは、明治時代に大阪で創業した美津野を前身としています。大正7年(1918年)に同社はスポーツを観戦するときの服装として当時はまだ珍しかった襟付きシャツを製造します。大正3年(1914年)に起こった第一次世界大戦に日本が参戦して「勝った」ことから、新製品に「カッターシャツ」という商品名を付けて売り出したところ大ヒット。大阪を中心とした西日本一円にカッターシャツという呼び名が浸透し、100年後の現在まで流布しているのです。

 ワイシャツはホワイトシャツを語源として生まれた和製英語で、明治10年(1877年)に石川清左衛門が横浜で初めて国産シャツの製造を始めたときワイシャツの名で売りだしたといいます。Yシャツはもちろん当て字で、カラーワイシャツという呼び名も日本だけのもの。英語ではドレスシャツといいます。

第10回 上着の打ち合わせは男女で逆?

男性用上着と女性の上着では前中央の打ち合わせが逆になっていることをご存知かと思います。男性用上着の打ち合わせは左手側が上になっていて、女性用は右手側が上になっています。言い換えれば男性用上着のボタンは右手側に付いていて、女性用では左手側に付いているということです。

上着の打ち合わせ部分の左右どちらかにボタンを付け、反対側にボタンホールを開けて留め外しするという画期的なアイデアは13世紀のヨーロッパで生まれました。男性用の上着においては当初から右手側にボタンを付け、左手側にボタンホールを開けていたと思われます。なぜなら当時も今も右利きの人口が圧倒的に多く、器用な右手でボタンを摘めるようにした方が留め外しに便利だったからです。

当初のボタン材料には金銀、水晶、サンゴ、琥珀といった高価な素材が使われていて、当然ながら限られた階層の人々の衣服に付けられていました。女性用も作られていますがボタン留めの衣服を身につけるほど高貴な女性は自分で脱ぎ着したりはいたしません。いつでも侍女が着せつけてくれるのです。そこで侍女の右手側にボタンを付けるようになりました。着用する女性の左手側にボタンが付けられるので、男性とは打ち合わせが逆ということになります。

 

▼第9回アイビーファッションの代表 ブレザー

 

 ジャケット(替え上着)の中でも制服的な意味合いを持ったものをブレザーと呼びます。英国の学生ファッションがアメリカのアイビー・リーグに取り入れられ、日本にまで伝わりました。アイビー・リーグとはアメリカ西海岸に位置する8つの名門私立大学の連盟のこと。ハーバード大学、コロンビア大学など同リーグに加盟する有名校には優秀かつ裕福(学費が高いので)な家庭の学生が集まっていて、アメリカのエリート養成所となっています。学生たちが好むスタイルはアイビーファッションと呼ばれ、高度成長期における日本で一大ブームを巻き起こしました。今でも団塊世代を中心にアイビースタイルのファンは少なくありません。

 ブレザーはアイビーファッションの代表的なアイテム(品目)です。前合わせはシングル、ダブルの両方があり、多くはメタル(金属製)ボタンでとめます。アウトポケットの胸にエンブレムを付けることもあります。生地は原則として無地で、紺色を使った「紺ブレ」は日本でも数年前にちょっとしたブームになりました。金ボタンの付いた紺ブレにライトグレーのパンツを履き、ボタンダウンのシャツにレジメンタル(斜め縞)タイを締めれば典型的なアイビースタイルが完成します。

▼ 8 上着のポケットの蓋、どうしていますか

 一般的な上着の両脇にはフラップ(蓋付き)ポケットが付いています。フラップとはパタパタ開閉するものという意味で、飛行機の主翼後部に取り付けられた板状部品もフラップです。仕立屋はフラップを雨蓋(あまぶた)と呼び、雨やホコリがポケットの中に入らないようにする役目があります。元々は軍服のデザインで、軍隊は雨の中でも行進しますからフラップがないとポケットの中がびしょ濡れになってしまいます。

 雨蓋はポケットの中にしまい込むこともでき、実際にそのようにして着用している方もときにみかけます。戸外ではプラップを出して着ているけれど、友人知人の家を訪問する際は中に入れるという方もいらっしゃいます。外に出したまま入室したのではそのお宅の室内が埃っぽいという意味にとれるので失礼にあたるという細やかな心使いです。

 邪魔なので最初から付けないでくれというご注文もあるのですが、フラップがないとポケット口が少し開いた感じになります。それを隠すためにも付けておいた方が無難です。タキシードの腰ポケットには雨蓋を付けないことが多いのですが、これは雨に遭う心配のない屋内用礼装であることをアピールしているのです。

7 襟穴はなぜ開いているの?

 背広の左側の襟の上方には穴が開いていて、ここにお勤め先の会社のバッジ(社章)を付けている方がよくいらっしゃいます。英語ではフラワーホールといい、パーティのとき花を差すのもおしゃれです。しかし襟穴は花やバッジを飾るためにわざわざ開けているものではありません。本来はボタンホールなのです。その昔、右側の襟の裏には、左側の襟穴に対応する釦が付いていました。左右両方の襟を立てて裏返し、この釦を襟穴で留めれば詰め襟と同じデザインになります。

 現代人が着ている背広の原型はナポレオン時代の詰め襟の軍服です。規律厳しき軍隊において、軍服は全部の釦をきちんと留めて着なくてはなりません。冬は外気を遮断して保温性に優れた詰め襟も夏場には暑苦しいデザインです。非戦闘時に上官がいなくなると兵士たちは上着の釦を外して襟をひっくり返し、胸元を開いて上着の内側に涼しい空気を取り込んでいたといいます。このときのスタイルが現在の背広のデザインになりました。すなわち着崩しファッションです。

ボタンホールとしての役目があった襟穴ですが今ではデザインのために残されていて、写真の上着では大き目の襟穴を明るいグレー糸でかがっています。

▼第6回 ベントは何のため

 上着の背面を見ると、裾を割っているデザインがあります。背中の中心を割っているものをセンターベント、両脇を割っているものをサイドベンツといいます。サイドベンツは左右2ヶ所が開いているので複数形になるんですね。

 センターベントを仕立屋は「馬乗り」といいます。その昔(モーツァルトが生きていたころ)上着丈は現在より長く、膝丈くらいありました。長い上着を着て馬に乗ると背中がぐしゃぐしゃになってしまいます。そこで背中心を割って左右両側に垂らすようにしたのです。現代オリンピックの馬場馬術で着る燕尾服もセンターベントを深く切っているので後ろ姿がスマートです。

サイドベンツは「剣吊り」といいます。軍服の腰に下げたサーベルを抜きやすいように切ったデザインです。

20世紀以降上着丈は短くなり、馬に乗る人は少なくなりました。ましてやサーベルを下げて歩く機会は皆無ですのでベントの必要性はなくなっています。現代ではサイドベンツにすればズボンのポケットに手を入れたとき見映えがよいことが最大の効用でしょう。私自身はもっぱらノーベントの上着を着ているのですが、ベントがなくても裾捌きに支障はありません。自動車に乗ったとき背中にシワがよりにくいというメリットもあります。


▼第5回 平服でお越しください

 

 先日、半世紀に渡って当社の洋服をご贔屓下さっていた地元経済界の重鎮の方が逝去されました。岡山駅前のホテルでお別れの会が催されることになり、各方面に出された案内状には「平服でお越し下さい」と記されていました。この場合の「平服」は普段着という意味ではありません。モーニングや喪服の着用には及びません、ダークスーツでご参加くださいと呼びかけているのです。

行事参加者に服装の「格」を指定することをドレスコードといいます。会場の格や雰囲気を壊さないために考案されたルールです。服飾の歴史の中で生まれた文化であり、これを守ることは大人のたしなみです。

ダークスーツとは濃紺、チャコールグレーなど濃色の無地のスーツのこと。ブラックスーツもダークスーツのひとつですが、黒ネクタイを合わせると喪服になってしまうのでおとなしい柄物のネクタイを締めればよいかと思います。細かい縞柄でも良いとされているものの、紺地に白のストライプといったビジネススーツの定番柄はこの席にふさわしくありません。

ダークスーツはパーティなどにもマッチする服装です。普段のビジネススーツとして着用することもでき、1着あると便利なので持っておいて損はありません。


▼第4回 式典の「格」はモーニングを着用している方の数で決まります

ほんの10年ほど前まで、ご葬儀があると喪主は必ずモーニングを着用していました。ペンギンみたいに丈の長い黒の上着とベストに灰色の縞模様のズボン(コールズボンといいます)というスタイルです。会場入り口では親族代表や葬儀委員長といった方々がやはりモーニング姿で立ち並び、弔問客を出迎えていました。葬祭場にモーニング着用者がずらり並んでいると、亡くなられた方がたいそう立派な経歴の持ち主であると通行人にもすぐ分かりました。

 近年のご葬儀では、喪主が略礼服を着て出席することが珍しくありません。モーニングは仰々し過ぎるという見方が生まれ、親族も略礼服を着るようになりました。服装のルールが変わったのではなく、簡略化されたのです。

 洋風結婚式における新郎新婦の父親もモーニングを着用します。結婚式もお葬式も式典であることに変わりはなく、式典には礼装で出席するのが国際的なルールであるからです。男子の昼間の第一礼装がモーニングであることも定められていて、略礼服と呼ばれる黒のスーツは日本独自の衣装です。その日出席する式典が立派なものであると思うなら、臆せずモーニング着用で出席されてはいかがでしょう。


第3回  ダブルのズボン裾

 ズボンの裾を外側に折り返した仕立て方を和製英語でダブルと呼んでいます。ファッション誌などにはその始まりとして以下のエピソードがよく紹介されています。20世紀初頭にとある英国紳士がアメリカでパーティに出席したときのこと、突然の雨に遭遇した彼はズボンの裾を濡らすまいとその場で折り返して着用しました。これを見たアメリカ人が最新の英国流ファッションだと思い込み、一斉にマネをしたというのです。

 この逸話も実景ではあったのでしょうが、その背景には「おしゃれの極意は着崩すこと」というファッション感が垣間見えます。かつての洋服はすべてオーダーメイドだったのですから、ズボンの裾は着る方の股下寸法に合わせていわゆるシングルに上げていました。シングルが本来の姿であり、今でもタキシードなどの礼服は必ずシングルにします。ダブルはにわか雨をきっかけとして流行した着崩しスタイルです。ワイシャツの袖を捲るのと同じ感覚で、活動的なイメージを演出するのでビジネスウエアはダブル、と決めている方もいらっしゃいます。裾に重みがついてズボンのラインが綺麗に見えるのもメリット。折り返し幅は4㎝が一般的ですが、3,5㎝幅にすれば軽快に4,5㎝幅にすれば重厚な感覚になります。

▼ 第2回 ベストの一番下の釦は外すの?

 ベストの前合わせには5、6 個の釦が付いていますが、その一番下の釦は必ず外すべきだと強く主張する方がときにおられ、その根拠としてよくこんな逸話が紹介されます。19世紀の英国で開催されたパーティに皇太子エドワードⅢ世がベストの一番下の釦を掛け忘れたまま出席してしまいました。同席していた当時のファッションリーダーが彼に恥をかかせまいと思って自分も同じく一番下の釦を外して着用。これが流行の着方として受け入れられ、以後紳士のたしなみとされるようになったというのです。

 ベストの釦は全部留めてもかまいません。逸話には前提として「着崩すことが粋」だという今も昔も変わらぬファッション哲学があると私は思うのです。付いている釦をすべて留めるのは野暮というもの、一つ外して崩したところがオシャレでしょうとアピールしているのです。現代の若者がわざわざ穴の開いたジーンズを履くのも同じ感覚です。

 本来の形をドレスダウンさせることで新しいスタイルを生み出す手法はこれまで繰り返し行われてきました。現代人が着ているスーツのデザインはそうした変化を経て生まれたものですが、本来の形を知っておくと着こなしにも自信が持てるというものです。

▼第1回 シャーロック・ホームズはなぜベストを着ているのか

 名探偵シャーロック・ホームズは何度も映画やテレビドラマに登場していて、天才的頭脳だけでなく本格的な英国ファッションがファンを魅了しています。様々なデザインのスーツやジャケット、コートに身を包んで事件現場におもむくのですが、どんなときもその下にはベスト着ていて決して脱ぐことはありません。彼は英国紳士であるからです。

 私どもはワイシャツの下に綿の肌着を着用しますが、これは高温多湿な日本の気候に合わせた着方で、英国では今でも素肌の上に直接ワイシャツを着ます。つまりワイシャツは下着なのです。紳士が下着姿で人前に出ることはできないので、これを隠すために着用するアイテムがベストです。

 日本人は明治維新から太平洋戦争までの数十年間、英国紳士を手本として洋服の着こなしを学びました。ホームズと同時代人である野口英世や夏目漱石から昭和のファッションリーダー吉田茂、白洲次郎まで、当時の紳士の写真を見ると全員が上着の下にベストを着用しています。戦後になってアメリカ・ファッションが上陸すると日本人もたちまち感化されてラフなスーツスタイルが一般的になりましたが、今でもベストが紳士のたしなみであることに変わりはありません。

▲以上は経済リポート誌に連載中のエッセイ「仕立屋のワードローブ」の内容を掲載しています

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